リチャードジノリのミニ知識

 カルロ・ジノリ侯爵 ドッチア窯 設立

1735年、カルロ・ジノリ侯爵がトスカーナの自領ドッチアに創設した磁器窯からリチャード ジノリの歴史が始まります。

 中世ヨーロッパで磁器戦争と呼ばれるほど磁器は王侯貴族にとって権力の象徴のような存在であったため、1710年にドレスデンの王立ザクセン磁器工場を皮切りに各国で陶磁器の開発製造に力を入れていきました。トスカーナの要職に就いていたカルロ・ジノリ侯爵は、鉱物学にも造詣が深く自ら原料土を探し、ペースト練りや発色の研究をして、イタリア初のドッチァ窯を創設しました。
 開窯当初は1点制作の記念碑的作品に力が注がれ、少人数での職人による製作で型紙を使用した単色での絵付けでしたが、職人の熟練度が上がるにつれて多彩色な花房や花束、バラ模様などの今日に受け継がれる作品の土台が誕生し、人気を博しました。日本や中国磁器への憧れが強く現れた「レッドコック(赤い雄鶏)」「グランデューカ」などがその代表作で、その絵柄の世界に入り込んでしまうほど魅力的な図柄は現代の私達も魅了しています。他にもフィレンツェの美しい田園風景から得た花や果物の絵図、神話をテーマにした浮き彫りなどは、カルロ・ジノリの時代より始まったそうです。

 ジノリとメディチ家との深いかかわりが初代より伺えるアイテムとして『メディチのベース』があります。他にもメディチ家最後の直系アンナ・マリア・ルイーザに献上されたゴブレットもカルロ・ジノリ時代の代表的なものです。『メディチのベース』は現在でもコレクターに不動の人気アイテムです。


 カポディモンテとジノリの関わり

 ジノリの歴史と深く関わりのあるカポディモンテ窯(ナポリ王家)は1743年に創窯され、本物のカポディモンテは軟質磁器で、1743年頃から1759年の間にだけ生産されました。ナポリ王家のカルロス三世はマイセン出身の妃を持ち、マイセンの協力と豊富な資金援助をも得て質の高い磁器を作りだします。しかしカルロス三世は1759年にスペイン王に即位したため、スペインに渡ります。その際ジノリ社がカポディモンテ窯や技術を継承したといわれています。ジノリ製品を見る上で歴史や風土を感じることのできる大変面白いポイントです。以後、現在でもリチャードジノリのカポディモンテシリーズは芸術性も高く、リチャードジノリの人気の所以でもあります。

 装飾的役割としての磁器から実用的な磁器食器へ

 ロレンツォ・ジノリ侯爵(1758-1791)
 第二期カルロの長男ロレンツォは、52歳で他界したカルロの後を継ぎ、工場を新設し土の研究を深めました。様々な地域から土を取り寄せ改良を重ね、中でもフランスのリモージュから取り寄せたカオリンを使用することによって、より白い磁器の製造に成功します。後にトスカーナの白い肌と絶賛され、ドッチア窯で製造されたジノリ製品を不動のブランドへ確立させました。各国の君主、名家のためのディナーセットや小物類の種類を増やし、ロレンツォ時代から今日まで受け継がれる「イタリアンフルーツ」「アンティックローズ」などのパターンが誕生しました。

 カルロ・レオポルド・ジノリ侯爵(1792-1837)
 カルロ・レオポルドはフィレンツェに最初の直営店(1801年)をオープン。王家の富の象徴だった磁器はフィレンツェ市民もジノリの磁器を手にすることが出来る時代へと変わっていきます。ルネサンス絵画に深い関心を持っていたカルロ・レオポルドは、当時流行していたネオクラシック様式を製品にも活かし、直線的なフォルムが印象的な「インペロ(エンペロ)シェイプ」を生み出しました。

 時代は王政から反王政・市民革命へ 新古典主義とビーダーマイヤー様式

 1815年のウィーン会議締結後 市民革命の風潮が各国で起こり、隣国のオーストリアやドイツでは1815年から1845年ころまでの約三十年間平和な時期を迎え、市民運動を中心に「高貴なる素朴と静かな 偉大さ」を求めたビーダーマイヤー様式が思想や芸術の流行となりました。 1848年革命・反王制により 体制が崩壊し、磁器の世界にもフランスのアンピール様式とビーダーマイヤー様式と幅広いデザインが求められるようになりました。(王政様式とはEmpire のフランス語発音からアンピール様式、また英語読みでエンパイア、インペロスタイルと呼ばれ、建築、家具その他の装飾芸術や視覚芸術の分野で19世紀前半に起こったデザインスタイルです。)

 このころビーダーマイヤーでもインペロスタイルでも共に好まれたデザインがアンティコローズです。古代ギリシャや古代ローマ時代より薔薇は「美」や「真実」の象徴とされました。キリスト教でも聖母マリア信仰の 「永遠の愛」の象徴として薔薇が用いられ、人生のさまざまな場面、誕生・成人・婚約・結婚・死の場面を薔薇の色によって表されました。また、目まぐるしく変化する時代の中「小花」や「散らし小花」は結婚式のヴァージンロードに用いられるなど、愛と平和の象徴、つかの間の精神的平和として特に愛されました。もちろん現代でもピンクのアンティコローズやロゼリーニのテーブルセットは食卓にあるだけで穏やかで幸せな空間を演出してくれます。

 伝統的な職人芸と独特の色を忠実に継承することによりロレンツォ・ジノリ侯爵の時代とカルロ・レオポルド・ジノリ侯爵の時代には、ナポレオンの妻マリー・ルイーズや、神聖ローマ皇帝フランツ2世、エジプト総督などをはじめとする多くの皇族たちが愛用しました。

 ロレンツォ2世・ジノリ侯爵(1838-1878)
 ロレンツォ2世の時代にドッチァ窯は1300人の職工と11基の磁器窯を持ち、産業として発展します。世界各地で行われた博覧会や展示会でジノリのドッチア窯製造作品は、一段と高い評価を受け他のヨーロッパの名窯と優位を競い、1851年開催のロンドン万国博覧会にも「メディチのベース」といわれる作品が出品されています。

 1861年にサヴォイア家がイタリア半島統一を果たし、「イタリア王国」が誕生し時代はまた大きく変動していきます。

 権力者の磁器から実用的な食器へ

 ナポレオン戦争後の1861年にはイタリア新君主制が制定され、ジノリは皇室御用達業者として芸術的で華麗な食器を数多く製造しました。1869年、ジノリ侯爵自身も領土問題が起こり経営が危ぶまれ、ミラノの企業家アウグスト・リチャードに工場を譲渡し、現在のブランド名「リチャード・ジノリ」が誕生しました。

 時代は更に産業革命へと移り、1873年には日本から、岩倉具視ひきいる欧米視察団がイタリア フィレンツェに到着。当時工業化の進んでいるジノリ工場を訪問し、記念として残した「岩倉具視サインプレート」は新しくなったリチャードジノリのショールームで見ることが出来ます。

 イタリアにおける世界的に児童文学で有名な「ピノキオ」の作者コッローディはフィレンツェにあるジノリの店の2階に住み、父親はジノリ候爵家のコックであったことなど、ピノキオとリチャード ジノリは不思議なご縁で結ばれていたそうです。現在では廃版となってしまったリチャードジノリの「ピノキオ」シリーズが誕生した所以であり、イタリアを代表するコラボレーションとなりました。

 カルロ・ベネデット・ジノリ侯爵(1879-1896)
 産業革命の影響もあり技術的改良を重ね、燃料に電気を使用する窯を16基に増やし、生産性が増大します。1880年ごろには、イタリア2代目国王ウンベルト1世からの注文で「森の果物」をモチーフにしたシリーズが誕生。日本の蒔絵を思わせる金彩とプラチナ彩を駆使し、立体感のあるゴールドの葉っぱは葉脈まで施され、バランスのいい構図に絶妙な色合いで、緻密で壮麗なデザインは和食にも合うデザインです。

 ヨーロッパで大芸術運動となった「アールヌーボー(新しい芸術)」は一世を風靡し、イタリアでは「リバティ・スタイル」と呼ばれ自由で流れるような曲線や、自然の植物などがモチーフとなった女性的なラインが大きな特徴になりました。

 アールデコとジオ・ポンティ

 ジオ・ポンティはイタリア建築界の父と呼ばれる芸術家で、インテリアデザインで有名なジョージ・ネルソンはローマ留学中にジオ・ポンティに取材しアバンギャルドなデザインをアメリカに紹介しています。そんな20世紀前半を代表するアートディレクター、ジオ・ポンティがリチャードジノリのアートディレクターとして就任、そして彼が生み出す美しくシンプルで洗練されたデザインは、アールデコ全盛期における博覧会で金賞を得るなど大きな功績をあげました。現在でも購入できるシリーズでは幾何学的な曲線で描かれたシリーズのほか、イタリア古典(ギリシャ、ローマ)のモチーフからインスピレーションを得た独自のネオ・クラッシックの作品を生み出しています。シェープパターンは1790年頃誕生のインペロシェイプ(帝国様式)を好んで用い、時代は前後しますがイタリア磁器におけるビーダーマイヤー的存在のデザインのように見え、大変面白いデザインです。眺めているだけでどこかクスリと微笑んで気持ちを温かくしてくれるのは、しっかりとしたデザイン力とユーモアを併せ持つイタリアが育んだ風土と芸術が見事に調和しているからかもしれません。1920-1930年代、彼は磁器素材を使って、《モダンアート》の世界を創造し、また、テーブルウェア以外にも磁器の新しい需要が生まれました。

 現代 新シリーズの発表とデザイナーの起用、そしてチャレンジ

 1980年カジュアルでモダンな「エコー」シリーズが誕生し、数々の新たなシェイプパターンを発表します。時代の先端をゆく建築家やファッションデザイナーとコラボレーションし、《伝統と革新》をテーマに掲げ様々な製品を世界中に発信し続けています。

 近年では、暗いニュースも入りました。2012年7月には陶磁器の製造を中止。2013年1月7日、イタリアのフィレンツェ裁判所は、リチャードジノリに対して破産宣告を通達。しかし、2013年4月5日、グッチがリチャードジノリに対して、1300万ユーロ(約16億円)で買収を提案したと報道されました。その2か月後には、リチャード・ジノリの歴史において最初にオープンしたフィレンツェ・ロンディネッリ通りのショップが6月18日にリニューアルオープンし、新たなリチャード・ジノリのフラッグシップショップのオープンに、地元のみならず大勢の関係者が詰め掛けました。リニューアルしたショップはジノリゆかりのドッチァ窯がミラノのリチャード陶磁創設して約280年、リチャード・ジノリとなって約120年という長い歴史を再認識させるコレクションを展示。ベッキオホワイトなど永く愛される白い磁器の置物や食器、アールヌーボー、アールデコ期の記録としてもインテリアに生かされています。フォレンツェが誇り、イタリアの生活に根付いたテーブルウェアの歴史的再スタートとなりました。

 日本の皆川明さんとコラボレーション

 皆川明さんといえば、2012年にオープンした東京スカイツリーのユニフォームデザインで有名ですが、2011年にリチャード ジノリのアートディレクターのパオラ・ナヴォーネさんとコラボレーションしたシリーズ「LOVE COMMUNICATION〜paola navone & mina perhonen〜」のデッドストックがパスザバトンオンラインショップにて販売されたのを皮切りに、2014年にはミナペルフォネンとパスザバトンとコラボした企画が話題となりました。本来廃棄されるはずだった業務用食器B級品『使用する上では問題がないにもかかわらず、ちょっとした違いにより製品基準をクリアできずに眠っていた食器たちを利用しました。』とあり、環境にも配慮した活動の支援も行っていることが分かります。
 皆川さんに影響を与えたジノリのディレクタージオ・ポンティ氏が好んで用いた創業当時よりジノリの象徴的アイテムのインペロシェイプに皆川氏がデザインをのせた、タイムトラベラー的アイテムはインパクトの強いデザインで人気も高く、話題となっています。
 皆川さんとリチャード ジノリの2度目のコラボレーション「Bee White」は、美しい白磁に、自由で伸びやかなタッチで描いた鳥や花、蝶が踊る世界を表現。タイトルの「Bee White」とは、モチーフのひとつであるミツバチ「Bee」と白磁「White Porcelain」、そして“さい先が良いこと”を示す英語の表現「Bee white」をかけたものとのことで、食卓にあるだけで一日の運気をアップさせてくれそうなアイテムです。
 他にも幸せのメッセージを運ぶ鳥が自由に食器の中を飛び回る“Letter bird”があり、2017年春には皆川氏デザインの“SPERANZA”シリーズが発表され、日本での発売は、今秋を予定しているそうです。

 リチャードジノリを眺めて

  リチャードジノリのオロディドッチアシリーズやヘレンドのインドの華やアポニーグリーンは日本の柿右衛門様式に近いとも言われていますが、重厚感のある抜けるような美しいグリーンに金彩のあしらい方をみると、景徳鎮にみられる構図の配置や金彩の使い方に近いように感じます。
 日本の青久谷も緑色の美しさが際立っていますが、青久谷などに見みられる緑色の使い方とは全く違い、磁器を製造された地域の風土さえも感じられるようなそれぞれ異なった質感が面白いところです。
 中でも、リチャードジノリのオロディドッチアシリーズの緑色の使い方と金彩の使い方が大変面白く、コレクターでなくても手を伸ばして眺めたくなる逸品です。アクセントとしての金彩のあしらい方が絶妙で、九谷などの磁器よりも蒔絵の金彩の使い方を彷彿とさせる技巧に、大航海時代のイタリアやヨーロッパ諸国を通じ景徳鎮、そして日本を結ぶ歴史を感じさせてくれます。

 リチャードジノリもまたヘレンドの歴史同様、優れたものを模倣する時代があったことに驚かされます。それは現在でもリチャードジノリのシリーズとしても有名なカポディモンテシリーズです。カポディモンティはナポリ王家庇護のもと1743年に開窯され、作品の芸術性高さに当時より高価で売買されました。観光地にもなっている海岸近くの路上ではカポディモンティ窯の贋作が多く製造され観光客に売られるほど、イタリア・ナポリを代表する窯です。1771〜1806年の王立窯での製品とは区別され、設立当初はドイツ・マイセンの作品を模倣し量産していましたが、のちに古典的なものを主題とした新古典主義を象徴する名窯となりました。現在ナポリの城には約 2000点の作品が保存されているそうです。
 そのカポディモンテ窯の設備と資材はカルロス3世からジノリ侯爵に譲られ、ジノリ侯爵の指揮のもとカポディモンテ様式の様々な造形を模倣されたようです。現在でもジノリ社のカポディモンテシリーズの芸術性は高く、300年継承された技術と芸術性に深く感動します。さらに、アンティークとして1743年から1759年までの期間に製造されたカポディモンテの磁器は希少価値が大変高く、贋作と見分けるのも困難な為、お客様より鑑定を依頼されるケースも多くございます。

 300年の歴史と現代のアートシーンをあっさりと融合させてしまうリチャードジノリの懐の深さと面白さに、また目が離せません。

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