アウガルテン/Augarten

ウィーン磁器工房は来年創設300周年。
1709年、プロイセン王国のマイセンでヨーロッパ初の磁器製造法が発明されてから9年後の1718年に創設されたウィーン磁器工房は、その後大きな時代の潮流と共にその歴史を刻みます。来年で設立300年周年のウィーン磁器工房アウガルテンは5つの時代に分けられ紹介されています。

♦ デュ・パキエ時代(1718-1744)


1718年5月25日、時の皇帝カール6世(マリア・テレジアの父親)統治下、はオーストリア皇室領地内で磁器を製造する特権を、宮廷軍事官にオランダ人のクラウディス・イノセンダス・デュ・パキエに与えました。

当時の磁器工房は、現在のウィーン第9区にある「磁器小路」Porzellangasseに設立され、主に皇帝と宮廷貴族のために製造されていました。この時代を「デュ・パキエ時代」と呼ばれています。
デュ・パキエがウィーンでも磁器製造を願い出たのを切っ掛けに、マイセンからエナメル・金彩絵師でもあるクリストフ・コンラード・フンガーを招聘しました。そして1718年、皇帝カール6世から帝国領内で25年間磁器制作・販売を独占的に行う特権を得ることができましたが、磁器製造は想像以上に困難を極めました。

1719年マイセンの磁器製造の秘密を得ようと、磁器製造を発明したとされるベドガーのもとで働いていた、職人頭のザミュエル・シュテルツェルを高額な報酬で引き抜くことに成功。シュテルツェルはマイセンから逃亡し門外不出だった磁器製造法を教え、マイセンでも使用された磁土をウィーンでも入手できるように手配しました。シュテルツェルはウィーンに到着してわずか3ヶ月後の1719年4月に磁器製造に成功しました。

しかしデュ・パキエは、製造コストに見合うだけの利益を得られず、約束の報酬を払えなかったため、シュテルツェルは怒り、製作所を破壊した上に優秀な絵付師へロルトまで連れ逃亡。絵付師へロルトは、マイセンに戻り一時代を築きます。そしてマイセンから呼び寄せたフンガーもウィーンを去り、窯を移転して磁器制作を続けましたが資金繰りは苦しく、1744年、25年の特権期間を終えデュ・パキエは窯を国家に売却しました。

ヨーロッパ磁器の創成期である1700年代初頭は、日本や中国などの東洋磁器の影響が色濃く、プリンスオイゲンシリーズやカラフルシノワズリシリーズなどに見られる、シノワズリ:東洋風の柄が描かれれています。

♦ 帝立ウィーン窯が誕生 ロココ時代 (1744-1784)


1744年、父カール6世の後を継ぎ、マリア・テレジアは大公妃として帝国の実権を握り、デュ・パキエは皇室に売却しました。工房はハプスブルク皇室直属の窯に命じられ、「インペリアル ウィーン磁器工房」として工房で作られる全製品にハプスブルク家の紋章である横2本の盾が商標として焼き付けられました。このころよりウィーン窯にバックスタンプが導入されます。当初は刻印でしたが、1750年からブルーの染付で釉薬下に書かれるようになりました。
この時代を「ロココ時代」と呼び、この時代の磁器はコレクターに絶大な人気があります。

芸術好きのマリア・テレジアは窯に多額の出資をし、当時の流行していたロココ風の作品を作らせる一方で、それちは対照的に自然主義的な作品も生まれてきました。ウィーン磁器工房は皇室からの庇護、支援に感謝し、マリアテレジアの狩猟の館であるアウガルテン宮殿の完成記念に食器セットを寄贈します。それが今日の「マリアテレジア」シリーズです。現在でもアウガルテンを代表するパターンとして世界中で愛されています。

この時代、モチーフの特徴は製品の真ん中に一輪の大きな花、その周りに小花を描くデザインが多くまた、ロココ芸術を代表するフランスの画家ワトーの手掛けた風景や人形などが盛んに制作されました。

♦ ネオ・クラシカル時代(1784-1805)


1784年、マリア・テレジアの没後、贅沢を嫌う息子ヨーゼフ2世は窯を売り払おうとしますが、職人たちに説得され、コンラート・フォン・ゾルゲンタール男爵が経営を担います。ゾルゲンタール男爵は、品質管理のためのイヤースタンプや職人たちの識別番号を導入しました。この時代の大きな功績として挙げられるのが、コバルトブルーなどの新しい技法や、金粉を油に溶かして磁器に塗る技法の発明です。ウィーン芸術アカデミーで学んだ絵師を招き、素晴らしい作品が沢山生み出され、美しい古典主義様式の絵画を描くような高度な技術も完成しました。この時代を「ネオ・クラシカル時代」と呼び、ウィーン磁器工房は「技術と品質」において世界一の名声を得ていくこととなり、黄金期を迎えました。

1789年、パリでフランス革命が勃発。ウィーンもナポレオン軍によって占領され、ハプスブルク皇室はローマ皇帝の冠を放棄するよう強いられ、オーストリア皇室としてのみ存続することを余儀なくされます。

ウィーン磁器工房はそのような歴史の激動の中、輝かしい時代を築きあげます。ナポレオンとオーストリア皇帝フランツ1世の長女マリールイーズとの婚礼のための大量注文が工房を潤し、多くの優れた作品が作られました。

♦ ビーダーマイヤー時代 (1805-1864)


ナポレオンとの戦争後、磁器工房は困難な時代を迎えることになりますが、1814年のウィーン会議が、再び工房に隆盛期をもたらすこととなります。ロシア皇帝や、プロシア王などの世界各国の王侯貴族たちが工房を訪れ、製品を自国へ持ち帰ることにより、ウィーン磁器工房の製品が世界に広く知られることとなったのです。

またこの時代は、急速に経済的な発展を遂げた中産市民階級が貴族文化に憧れ、彼らも製品を使い始めます。この時代を「ビーダーマイヤー時代」と呼びます。誕生日や祝い事に高級磁器を送る貴族の習慣を取り入れるようになり、ウィーン磁器工房は一層の発展を遂げました。ビーダーマイヤ時代は、愛や友情などの意味を潜めた小花を散らしたカップを贈りあうことが流行。カップの収集が政治的影のないことの証明になったのです。

ナポレオンがモスクワ遠征に失敗すると、旧君主制を復活させようとする動きが強まります。1814年から1815年にかけてオーストリア外相メッテルニヒ主導による講和会議「ウィーン会議」が開かれ、ヨーロッパ各国から王侯貴族や官僚たちがウィーンを訪れます。「会議は踊る」と評されたように会議は長期化し、毎晩のように繰り返される舞踏会は、ある意味ウィーン経済の復興に貢献しました。彼らの多くは芸術愛好家だったため、ウィーン磁器工房はかつてないほどの隆盛を誇ることになります。ナポレオン戦争後、ウィーンでは宰相メッテルニヒ体制下で、自由主義やナショナリズムは厳しく抑圧され、人々はさまざまな思想的制約を受けて暮らしていくこととなり、ウィーン市民は政治から離れて家庭生活を主体とした音楽会や舞踏会、観劇など小市民的生活を送ることになりました。

ウィーン会議で王政は復活したものの、経済面で実力をつけた市民階級が台頭し、帝政は危機を迎えます。1848年フランスで勃発した二月革命を契機として、ヨーロッパ各地で自由主義・ナショナリズムが高揚し、そしてウィーンでもウィーン革命(三月革命)が勃発しウィーン体制は崩壊へとむかいました。この危機を制圧したのが若き皇帝フランツ・ヨーゼフでした。彼と皇妃エリザベート(愛称シシー)は工房の支援を行いますが、工房は経済的に苦しい時期を迎え、1864年に一時休窯に至ります。

♦ アール・ヌーボー/アール・デコ時代 〜現在(1924〜)


ロンドン万国博覧会に出品したのを最後に、産業革命による急激な工業化と大量生産、ハプスブルク家の弱体化により1864年一時閉窯となります。その間、その意匠はウィーン美術館の管理下に置かれ保管され、技術の断絶を危惧した皇帝フランツ・ヨーゼフ2世は、ハンガリーのヘレンド窯にウィーンのバラなどいくつかのデザイン、シリーズを継承させることを許可します。

1914年に始まった第一次世界大戦は、ドイツ帝国および同国と同盟を結んだオーストリア・ハンガリー帝国の1918年の敗北によって終結。ウィーンのハプスブルク家支配は革命によって終焉し、二重帝国は解体され、ヨーロッパ4大都市のひとつであったウィーンは経済的困窮に追い込まれました。

1924年、工房はアウガルテン宮殿に工房を移設。「ウィーン磁器工房アウガルテン」と改めます。この時期、かつての型や意匠が精力的に回収され、それを用いた伝統の継承に力が注がれ、アール・デコの新たな輝かしい時代の始まりとなりました。ヨーゼフ・ホフマンはじめ、マイケル・ポウォルニー、フランツ・ホン・ズウェロウなど、ウィーン工房の著名な芸術家たちがアウガルテンと共同でさまざまな作品を生み出し「アール・デコ時代」を確立。アウガルテンの磁器は広く世に知られることになりました。

1989年、工房の施設の拡張のため建物と庭園を整備。そして1996年には大規模な改革がおこなれました。全製品がハンドメイド、ハンドペイントの伝統を守りつつ、ハプスブルク時代のインペリアルオーダーブック(皇室からのデザイン注文帳)に収められた数多くの絵柄を使った復刻版の製造も開始。アウガルテンはオーストリアの国家自体の歴史と時代の流れの中で技術と伝統は脈々と受け継がれ人々のニーズに答え続けています。


1995年にウィーン商工会議所によって設置された「ウィーン・プロダクツ」に加盟している51企業のひとつです。ウィーンの歴史と芸術を受け継ぐ高品質な製品の包括ブランドとして、高い品質やきめ細やかなサービスのほか、ウィーンならではの雰囲気、ユニークな才能、美的センス等も重要視されています。現在製品は、生産工程と品質に関する最も厳格な基準に合格、さらにウィーン独特の優雅な美学を体現しています。また、ウィーン磁器工房 アウガルテンの製品はすべて、型やデザインが保存されているため、過去のシリーズであっても製造が可能。アウガルテンの素晴らしさは真に、ポットのふた1つ、ソーサー1枚から補充できるところも大きな魅力のひとつです。

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